「また来月も行く?」
妻がそう聞いたとき、夫は少し笑った。
「来月っていうか、再来週も行くでしょ」
二人にとって、東京ディズニーリゾートへ行くことは特別なイベントではなく、ほとんど生活の一部になっていた。
夫は35歳、妻は33歳。子どもはいない。夫は都内のIT企業勤務、妻はメーカーの広報職。二人とも正社員で、世帯年収は1,000万円を少し超えるくらいだった。
付き合い始めた頃からディズニーが好きで、結婚してからも年間20回以上はパークへ行っている。
新しいイベントが始まれば行く。季節限定のグッズが出れば行く。好きなショーを見たいだけで、夕方から入ることもある。
ただ、一つだけ毎回面倒だった。
帰ることだった。
楽しい一日の最後に、長い帰り道がある
当時住んでいたのは、中野区の賃貸マンションだった。
職場へのアクセスは良かったし、街も気に入っていた。
でも舞浜からは遠い。
閉園近くまでパークにいると、帰宅する頃には日付が変わりそうになる。
一日中歩いたあとに電車へ乗る。
乗り換える。
混雑した車内で立つ。
ようやく最寄り駅に着いて、そこから家まで歩く。
妻はよく言った。
「ディズニーより、帰り道の方が疲れる」
夫も同じだった。
翌日が仕事なら、閉園まで残らず早めに帰ることも増えた。
せっかく来たのに、時計ばかり気にしている。
そんな日もあった。
計算してみたら、かなり使っていた
ある休日、二人で年間の支出を整理していた。
パークチケット。
グッズ。
食事。
交通費。
たまに泊まるホテル。
一つ一つは分かっていたつもりだったが、年間で見るとなかなかの金額になる。
夫が言った。
「これだけ舞浜来てるなら、近くに住んだ方がよくない?」
冗談のつもりだった。
妻も笑った。
「もう舞浜に住む?」
でも、そこから少し空気が変わった。
本当に近くに住んだらどうなるんだろう。
朝早く起きなくていい。
閉園後の電車を気にしなくていい。
混んでいたら帰る。
雨が降ったら帰る。
数時間だけ遊びに行く。
それができる。
妻が言った。
「旅行みたいに行かなくてよくなるんだね」
その言葉が、夫には妙に残った。
浦安は、思ったより高かった
そこから住宅サイトを見るようになった。
最初は当然、舞浜や新浦安を探した。
できれば戸建て。
3LDK以上。
そして一部屋は、二人の趣味部屋にしたい。
でも、価格を見て驚いた。
6,000万円台。
7,000万円台。
条件のいい物件なら、それ以上。
妻が言った。
「ディズニーに近くなるために、住宅ローンで苦しくなるのは違うよね」
夫もそう思った。
趣味を楽しむために家を買うのに、家を買ったせいで趣味に使えるお金がなくなったら意味がない。
そこで、探すエリアを少し広げた。
浦安市ではなく、
江戸川区の葛西。
「舞浜の隣」でなくてもいい
葛西から舞浜までは、地図で見るとかなり近い。
今回見つけたマンションから舞浜駅までは徒歩なら約51分と掲載されているが、日常的にはバスや自転車、タクシーなどを組み合わせる選択肢も考えられる距離感だった。物件自体は葛西駅徒歩17分、71.05㎡の3LDKで4,799万円。2026年7月に室内はフルリノベーションされている。
夫婦が気に入ったのは、単に「ディズニーに近い」からではなかった。
71㎡ある。
3LDKある。
そして、4,000万円台。
一部屋を、
生活のためではなく、
完全に趣味のために使える。
それが大きかった。
一部屋まるごと、ディズニーにする
内覧の日。
妻が最初に見たのはリビングでもキッチンでもなかった。
洋室だった。
「ここ、グッズ部屋にできるね」
夫もすぐに想像した。
壁一面の棚。
カチューシャ。
ぬいぐるみ。
ポップコーンバケット。
フィギュア。
イベントごとに買った限定グッズ。
昔のチケット。
二人で撮った写真。
ホテルのアメニティまで、なぜか捨てられずに取ってある。
今の賃貸では、収納の奥に押し込まれていたものばかりだった。
季節が変わるたび、
段ボールを開けて探す。
飾りたいのに、
置く場所がない。
妻が言った。
「ちゃんと飾れる家って、いいね」
夫もそう思った。
家を買う理由として、趣味は弱いのか
両親に家を買う話をしたとき、
当然聞かれた。
「なんで葛西なの?」
夫は、
「ディズニー近いから」
と答えた。
母親は笑った。
「それで家決めるの?」
夫も笑った。
確かに、
住宅購入の理由としては軽く聞こえる。
通勤。
子育て。
実家との距離。
資産価値。
普通は、もっと真面目な理由が並ぶのかもしれない。
でも二人にとって、
ディズニーへ行くことは単なる娯楽ではなかった。
付き合い始めた頃から、
何度も一緒に来た場所。
プロポーズした日の帰りにも来た。
結婚記念日にも来た。
嫌なことがあった週末も、
「とりあえず行く?」
と言って遊びに来た。
二人の時間のかなりの部分が、
この場所とつながっていた。
だったら、
家を選ぶ理由になってもいい。
そう思った。
築36年という数字
マンションは1991年築。
築36年だった。
新築好きの妻は、最初少し迷った。
でも室内はリフォームされていた。
キッチン。
浴室。
洗面。
トイレ。
床。
クロス。
建具。
給水・給湯管まで更新されている。
夫が言った。
「外観は新築じゃないけど、家の中は十分じゃない?」
妻も、
「その分、グッズ買えるしね」
と笑った。
結局、
最後に出てくる判断基準はそこだった。
家の価格を上げるより、遊ぶ回数を減らしたくなかった
銀行から提示された借入可能額は、もっと大きかった。
6,000万円台のマンションも買えないわけではない。
新浦安も候補にできた。
でも夫婦は、
4,799万円のこの家を選んだ。
理由は単純だった。
家を買ったあとも、
今まで通り遊びたかった。
新しいグッズが出たら買いたい。
年に何度かホテルにも泊まりたい。
遠方のディズニーリゾートへ旅行することだってあるかもしれない。
家が趣味を奪うのではなく、
趣味を続けやすくする家にしたかった。
初めて「3時間だけ」行った日
引っ越して数週間後。
土曜日の午後。
二人は家で映画を見ていた。
妻がスマホを見ながら言った。
「今日、思ったより空いてるみたい」
夫は時計を見た。
午後3時。
以前なら、
今から行こうとは思わなかった。
移動だけで疲れる。
帰りも遅くなる。
でも今は違う。
「行く?」
「行く」
それだけだった。
準備して、家を出る。
夕方からパークへ入る。
好きなアトラクションに乗る。
夕飯を食べる。
少しグッズを見る。
そして、
「今日はもういいか」
と帰る。
家に着いたとき、
まだそれほど遅い時間ではなかった。
妻が玄関で言った。
「これ、すごいね」
夫も笑った。
ディズニーへ行ったのに、
一日が終わっていない。
好きな場所の近くに住む
引っ越してから、
ディズニーへ行く回数は少し増えた。
一回あたりの滞在時間は、
むしろ短くなった。
以前は、
せっかく遠くから来たのだからと、
朝から夜まで遊んだ。
今は違う。
目当てのグッズだけ買いに行く。
ショーだけ見る。
夕飯だけ食べる。
混んでいたら帰る。
「また来ればいい」
と言えるようになった。
それは、
二人にとってかなり大きな変化だった。
趣味部屋に増えていくもの
家の一室は、
予定通りディズニー部屋になった。
最初は余裕のあった棚も、
少しずつ埋まっている。
夫の好きなキャラクター。
妻が集めているぬいぐるみ。
季節イベントのグッズ。
写真。
ポスター。
二人で行った日の思い出が、
少しずつ部屋に増えていく。
妻は時々、
「この部屋もう一個必要になるかも」
と言う。
夫は、
「それは無理」
と答える。
そんな会話も楽しい。
家を選ぶ基準は、人それぞれでいい
家を探していた頃、
二人はずっと考えていた。
駅徒歩何分。
築年数。
資産価値。
都心へのアクセス。
もちろん、
どれも大切だ。
でも、それだけで家を選ばなくてもいい。
犬が好きだから庭のある家。
料理が好きだから大きなキッチン。
車が好きだからガレージ。
本が好きだから書庫。
そして、
ディズニーが好きだから、
舞浜へ行きやすい家。
それも、
立派な理由だと思う。
夫婦が葛西に買ったのは、
単なる3LDKの中古マンションではなかった。
好きなものに使う時間を増やすための家だった。
以前は、
ディズニーへ行くこと自体が一日の予定だった。
今は、
日常の中にディズニーがある。
「今日、行く?」
そう言って、
ふらっと出かけられる。
そして帰ってきたら、
趣味部屋に新しいグッズを一つ増やす。
移動時間を減らすために家を買った。
でも実際に増えたのは、
二人が好きなことを一緒に楽しむ時間だった。
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