「駅から29分」と聞いた瞬間、由佳はスマートフォンの画面を閉じかけた。
毎朝電車で都内へ通うなら、駅から遠い家は候補になりにくい。けれど隣に座っていた夫の直人は、物件の写真をもう一度開いた。
「でも、1,399万円だよ。4LDKで、土地も120平方メートルある」
由佳は黙って、今住んでいる2DKのリビングを見回した。小学4年生の娘の教科書と、保育園に通う息子のおもちゃ。夫婦のダイニングテーブルは、夜になると直人の仕事机になる。
広い家が欲しいわけではなかった。ただ、家族それぞれが少しずつ自分の場所を持てる暮らしが欲しかった。
家賃を払い続けることへの、小さな違和感
直人は38歳。さいたま市内の物流会社で働き、車で通勤している。由佳は36歳で、週4日、近所のスーパーの事務を担当している。世帯年収は決して低くないが、教育費や車の維持費を考えると、大きな住宅ローンを背負うことには抵抗があった。
二人が住む賃貸住宅の家賃は、駐車場を含めて月9万円ほど。更新のたびに、「このまま払い続けて、最後に何が残るのだろう」と考えるようになった。
最初は3,000万円前後の新築戸建てを見ていた。真新しいキッチン、広いリビング、駅に近い分譲地。見学中は心が躍ったが、住宅ローンの返済予定表を見ると、帰りの車内はいつも静かになった。
家のために、旅行も習い事も諦める。そんな暮らしを二人は望んでいなかった。
そこで検索条件から「新築」を外し、価格の上限を2,000万円に下げた。表示されたのが、さいたま市西区西新井の中古戸建てだった。
築32年、駅徒歩29分。それでも残った理由
物件は1995年築の木造2階建て。間取りは4LDKで、土地面積は121.04平方メートル、建物面積は77.84平方メートル。外壁は2026年9月にリフォームされている。
一方で、西大宮駅までは徒歩29分。室内は新築のように広くも新しくもない。市街化調整区域にあり、再建築には一定の条件があるため、購入前に確認すべきことも多い。
条件だけを並べれば、わかりやすい優良物件ではなかった。
それでも直人が気になったのは、価格と4LDKという組み合わせだった。夫婦の寝室、娘の部屋、息子の部屋を確保しても、もう一部屋残る。そこを仕事部屋にすれば、ダイニングテーブルを毎晩片づけなくて済む。
駅からの距離も、家族全員に同じ重さでのしかかるわけではなかった。直人は車通勤。由佳の職場は自転車で行ける範囲だ。将来、子どもたちが電車通学を始めたときの負担はあるが、今の家賃を払いながら貯蓄が減っていく不安と比べれば、工夫できる問題に思えた。
「古い家」ではなく、直しながら住む家
内見の日、由佳は最初に水回りを見た。設備の年式、床のきしみ、窓の開閉。直人は外壁と屋根を見上げ、担当者に修繕履歴と今後必要になりそうな工事を尋ねた。
二人は、価格の安さだけで決めないと約束していた。ホームインスペクションの利用も検討し、給排水設備や雨漏り、シロアリ、断熱性について確認する。再建築の条件も、役所や専門家の説明を受けたうえで判断するつもりだ。
中古住宅は、買った瞬間に完成するものではない。必要な場所を直しながら、自分たちの暮らしに合わせていく家だ。
由佳は、少し古い和室を見ながら言った。
「ここ、最初は子どもの遊び場にしてもいいね。大きくなったら、私の部屋にしようかな」
直人は笑った。由佳が自分の部屋の話をしたのは、それが初めてだった。
駅近よりも、返済後の暮らしを選ぶ
二人が重視したのは、家の価値が上がるかどうかではなく、毎月の支出を抑えながら家族の時間を守れるかどうかだった。
住宅ローンの返済額だけでなく、固定資産税、火災保険、将来の修繕費も含めて家計を組み直す。浮いたお金をすべて使うのではなく、毎月一定額を「家の積立」に回す。給湯器や屋根に不具合が出ても、慌てないためだ。
駅まで29分という数字は変わらない。築32年という事実も変わらない。
けれど、便利さを追いかけて予算を膨らませるより、無理のない価格で4つの部屋を手に入れる方が、今の家族には合っていた。
新しい家に移ったら、娘は窓際に小さな机を置きたいと言っている。息子は、自分の部屋に恐竜を並べるつもりだ。直人は仕事部屋に棚を作り、由佳は和室に好きな色のカーテンを掛ける。
家は、駅から遠い。
それでも家族にとっては、これまでより少しだけ、自分たちの暮らしに近い場所になる。
さいたま市西区大字西新井の中古一戸建て
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