二十七年間、長谷川修一は車の線を引き続けてきた。
大学卒業後に自動車メーカーへ入り、四十代からはドイツのデザイン拠点で働いた。ヘッドライトの角度を一ミリ単位で調整し、まだ名前もない次世代車の輪郭を何百枚も描いた。仕事は刺激的で、海外での生活も嫌いではなかった。それでも五十三歳を迎えた頃、画面の隅にいつも浮かぶものがあった。
大宮で一人暮らしを続ける、八十一歳の父・健三の姿だった。
健三は元整備士で、修一が車の道へ進むきっかけをつくった人だ。電話では「まだ何でもできる」と笑うが、母を亡くしてから外出は減った。実家の階段で転びかけたと聞いた夜、修一は帰国を決めた。
介護のためだけに戻るのではない。これからの父と息子が、互いに役割を失わず暮らせる家を探そうと思った。
近すぎず、離れすぎない二世代の家
父を自分のマンションへ呼ぶ案もあった。しかし、生活時間も食事の好みも違う二人が、急に小さな空間を共有すれば、どちらかが遠慮する。健三は「世話になるだけの暮らしは嫌だ」とはっきり言った。
二人が探したのは、完全な二世帯住宅ではなく、それぞれが自分の時間を持てる広さのある家だった。病院や買い物へ出やすく、修一が新しい勤務先へ通えること。そして、健三が長年手放せずにいる古い国産クーペを雨風から守れることも条件に加えた。
そこで見つけたのが、さいたま市大宮区上小町の中古戸建だった。
約165平方メートルと、玄関につながるガレージ
物件は1997年築の地上3階建て。土地面積は116.42平方メートル、建物面積は165.45平方メートル。間取りは大型4LDKで、価格は5,380万円だった。大宮駅から徒歩19分。バス便も使え、三橋小学校や三橋中学校にも近い住宅地に建っている。
修一が最初に足を止めたのは、居室ではなくビルトインガレージだった。車を降りて、そのまま玄関へ入れる。雨の日に父が濡れずに移動できるだけでなく、長く眠っていたクーペを置く場所にもなる。
健三はガレージの壁を指でなぞり、工具棚を置く位置を確かめた。「もう本格的な修理はできないぞ」と言いながら、その声は久しぶりに弾んでいた。
室内には二人がそれぞれ寝室を持っても余る部屋数がある。父の生活は階段移動を少なくできる階にまとめ、手すりや照明を追加する。修一は上階の一室を、設計の仕事とスケッチのための書斎にすることにした。共用するのはリビングとキッチン。ただし食事は、毎日一緒でなくてもよいと決めた。
中古住宅だからこそ確認したこと
広さとガレージだけで即決はしなかった。築約30年の建物だからこそ、修一はホームインスペクションを依頼し、構造や雨漏りの跡、給排水管の状態を確認した。2020年に水回りのリフォーム履歴があったものの、今後の修繕費は別に見積もった。
特に話し合ったのは、三階建て住宅で高齢の父が暮らす現実だった。現在は階段を使えても、数年後は状況が変わるかもしれない。寝室からトイレまでの動線、段差、将来的な介護サービスの利用まで、ケアマネジャー経験のある知人にも相談した。
契約不適合責任免責など、物件固有の条件についても仲介会社へ確認した。好きな車を選ぶときでさえ、修一は見た目より整備記録を見る。家も同じだった。夢を壊すためではなく、長く大切にするために現状を知るのだ。
父に教わった手順を、もう一度
引っ越しから二週間後、二人はガレージで古いクーペのボンネットを開けた。修一が工具を取ろうとすると、健三が「先にバッテリーを外せ」と言った。子どもの頃と同じ口調だった。
健三は椅子に座り、修一が手を動かす。忘れていた手順を父が声で補い、固着した部品を二人で眺める。車はその日、エンジンをかけるところまでいかなかった。それでも夕方、ガレージの床には新しい油染みが一つ増えていた。
翌朝、修一が書斎で仕事を始めると、階下からラジオの音が聞こえた。健三は自分で朝食を作り、近所へ散歩に出た。守られるだけの父ではなく、この家の暮らしを動かす一人として過ごしている。
海外で未来の車を描いてきた修一が、大宮で向き合うのは、止まっていた一台と、残された家族の時間だ。
親と暮らすことは、過去へ戻ることではない。互いにできることを持ち寄り、新しい関係へ組み直すことなのかもしれない。ガレージのシャッターが上がるたび、父と息子の第二の暮らしも、少しずつ動き始めている。
さいたま市大宮区上小町の中古戸建
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