朝採れのかぶを切った瞬間、包丁の向こうから水がにじんだ。
料理人の水野航平、39歳。都内のレストランで十五年働き、最後の五年は料理長を任されていた。評判も収入も安定していたが、厨房へ届く野菜は、産地の名前が書かれた箱の中にあった。つくった人の顔も、畑の風も知らない。
休日に訪れた三浦の直売所で、航平は農家から「今日は生で食べて」と渡されたかぶをかじった。甘さのあとに、土の香りがした。その場で、料理の組み立てがいくつも浮かんだ。
「仕入れに通うんじゃなくて、ここで料理をしたい」
店を開く前に、暮らしを移す
航平はすぐに店舗を探さなかった。まず三浦で暮らし、季節ごとの野菜と漁港、地域のリズムを知ろうと考えた。店だけを借り、東京から通うのでは、食材の近くへ来る意味が薄れる。
選んだ住まいは、三浦市三崎町諸磯の築後未入居戸建。2025年築の3LDK+シューズインクローゼットで、土地約227平方メートル、建物約87平方メートル。価格は2,790万円。海岸まで徒歩圏で、駐車スペースは2台分あった。
この家をレストランとして使うのではない。店は用途や設備、消防・保健所の要件を満たす別の物件を探す。住まいと仕事場を分けながら、早朝の畑や市場へ動きやすい拠点として選んだ。
シューズインクローゼットに、長靴を並べる
内見で航平が最初に見たのはキッチンではなく玄関だった。広いシューズインクローゼットなら、畑を訪ねるための長靴、収穫用の手袋、保冷バッグをまとめて置ける。駐車スペースには自家用車と、将来使う仕入れ用の車を置ける。
一室はメニューを考える書斎にした。壁には農家ごとの収穫時期を書いたカレンダーを貼る。家庭のキッチンは試作の補助に使うが、営業用の仕込みは店の厨房で行う。仕事を家へ持ち込みすぎないことも、長く店を続けるための準備だった。
庭ではハーブを少しだけ育てることにした。自給自足を目指すのではない。畑を営む人の仕事を知り、その野菜を正しく買い、料理として客へ届けることが自分の役割だと考えた。
メニューは、畑で決める
移住後、航平は農家を一軒ずつ訪ねた。最初は警戒された。「東京から来て、いつまで続くの」と聞かれたこともある。航平は大きな約束をせず、収穫を手伝い、必要な量を正直に伝え、少しずつ仕入れを始めた。
レストランのメニューは固定しなかった。その週に届く三浦野菜と魚で組み立てる。形の不ぞろいなにんじんは低温で焼き、葉までソースにする。大根は部位によって火入れを変える。料理名より先に、生産者と畑の場所を短く記した。
店舗は三崎の小さな物件を借り、客席を増やしすぎなかった。地元の人が普段使いでき、東京から訪れた人にも三浦の季節を感じてもらえる店にしたかった。
開店日のスープ
開店初日の朝、強い風が吹いた。届く予定だった野菜が一部変わり、航平はメニューを書き直した。東京の厨房なら、予定どおりの食材を別の業者へ頼んだだろう。三浦では、採れたものに料理を合わせる。
最初の客は、野菜を仕入れている農家の夫婦だった。航平は緊張しながら、かぶのスープを出した。夫婦は一口飲み、「ちゃんとかぶの味がする」と笑った。
閉店後、航平は諸磯の家へ戻った。玄関で長靴を脱ぎ、静かなリビングに座る。売上の数字より、その日の野菜と客の表情が残っていた。
三浦へ来たのは、食材を安く手に入れるためではない。料理が生まれる場所と、食材が育つ場所の距離を縮めるためだった。明日の皿は、明日の畑を見てから決める。それが、航平の新しい店の約束になった。
三浦市三崎町諸磯の中古戸建
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